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歴史は流されない? [□ 俺を更新]

震災から1月半。最近は東電の原子炉冷却に関する報道をよく見ます。
農産物の風評被害の話もメディアで見かけるが、
その後の被災者の情報があまり目立ちません。
避難所生活の人々、計画的避難区域に指定されるなど、他県へ避難した人々は
今どんな状況に立たされているのでしょうか。とても気になります。

先日、保育園児の頃お世話になっていたおばあさんの家に何十年ぶりに上がりました。
当時は保育園が終わった後、両親が迎えに来るまで数時間は毎日過ごしていた思い出があります。
埃をかぶった家具、茶色くなった柱、白黒の写真、匂い・・・。
特に改築もしていなかったので、空間が古びた感覚です。
普段なら特に気にも留めなかっただろうこれらが、この日は妙に印象深くしばらく一人で眺めていました。
およそ30年前のかすかな記憶を掘り起こされ、懐かしさとある意味新鮮さを味わった数分。

この時、私はすこし被災者の気持ちがわかった気がしました。
家族、友人、家さえも津波に流され、希望をそぎ取られた被災者がなぜ地元を離れないのか。
他県に避難し、放射能からの安全が確保された人々がくやしさと同時に抱くはずの感情は何か。
それはなつかしさであり、思い出でしょう。また、おそらくは世代も越えた命の起源を意識する歴史。
これからの上に個人があり、地に立っている今があるという当たり前の事が
自分の経験と重なり合い、今でも胸が痛い思いです。
歴史の成績はとんと振るわなかった私ですが歴史がなぜ大事なのかはこういう側面もあるかと思います。

また、計画停電の回避、保存食の品薄など震災のわずかな爪あとも消えて
日常をほぼ取り戻した私が被災者を思わなくなりつつあり、これこそ「不謹慎」かもしれないと感じます。
震災後は短、中、長期で求められる支援の状況が変わると阪神淡路大震災で知りました。
今求められていて、今私にできる支援はなんなのか
そこを考える上でも、被災地に残っている人、他県に移り住んだ人の声が聞きたいです。
そして、その声も日本の歴史の一部になるべきだと思います。このあたり、あまり情報が無いのが残念です。

一方で、福島第一原発の事態収束は目処が立ちません。
放射能に対する東電、政府の対応は世界的に非難の対象になっているようです。
情報が開示されない、手を打つのが遅い。対策ロードマップは絵に描いた餅だとも言われています。
そしてこの記事
「累積100ミリシーベルト超で原発作業5年不可」(読売新聞4/29)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110428-OYT1T00980.htm
遡ってもうひとつ
「今回浴びた線量は手帳に載らない」(毎日新聞4/21)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110421k0000m040166000c.html

およそ1週間の被曝線量は記録されたのでしょうか。1日、1時間、相当な放射能の元で
作業が行われ、その身を犠牲に国を守ろうとしている人へのふさわしい対応とは。
歴史の一ページに被曝訴訟の問題が刻まれかねないです。

テレビ越しに被災地を見たのは何日前でしょうか。
愛する人の遺体や遺留品を探し、瓦礫の土地をひたすら歩く人の心境は私の想像を超えています。
史上かつて無い事態は、心と命の根本をむき出しにしていると思います。
そして、個人も国もその歴史の上に成り立っていることに素直に向き合うべき時だと考えています。
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